ヤマハ | YAMAHA FZ750
海外市場で先行販売されていたFZ750が、日本国内で発売されたのは、1985年4月のこと。量産車として初めて採用された1気筒あたり5本のバルブを持つ、749cc・水冷4スト直列4気筒DOHCエンジンは、45度前傾された状態でフレームに搭載された。これにより、重心を下げるとともに、ダウンドラフト吸気の採用も可能としていた。生み出された最高出力は77psで、トルクは7.0kg・m(海外仕様は100ps)。フレームは角断面のワイドタイプ・ダブルクレードルで、ダウンチューブは取り外し可能。そのため、エンジンを搭載したまま、シリンダーを脱着することまで可能だった。φ39mmのインナーチューブを持つフロントフォークには、スタビライザーが装着され、ねじれ剛性を高めることで、安定性を向上させていた。クラッチは油圧式で、いわゆる「遊び」の調整も不要になっていた。ブレーキは前後ともディスク式(フロントはダブル)で、ラジアル構造のタイヤが採用されていた。1987年3月には、後継モデルとしてFZR750が登場したが、海外市場では、同じ87年にモデルチェンジを受けて販売が継続された。
FZ750
12月14日
158グー!
FZ750回想
大学入学後すぐに中型免許取得、2年ほどレプリカ250ccに乗ったあと、腕試しをしたく水戸試験場に真冬の早朝5時から並び限定解除試験を受けた。遵法運転は当然、大きく重かった当時のナナハンを手足のようにキビキビと操れる事、落ち着いた態度、暴走族では無いという身だしなみと装備、礼儀までもが見られていた。武道に近いもので教習所で誰でも取得できる現在とはあまりにも違う世界、今思えば隔世の感がある。
なんとか4回目に合格、一緒に受験し合格した学友と躍り上がって喜んだことをよく覚えている。
とにかくナナハンに乗りたい。お金は学生のため無かったから馴染みのバイク屋さんに中古を探して貰ったのがこれ。自分で払う予定だったが何故か父親が出してくれた。実は父も昔はライダーだったのだ。
今はそのお店はBMWのディーラーに成長している。
父はその後バイクにリターンした。
当時のレーサーレプリカ的考え方は大型クラスにも浸透しつつあり、ヤマ発としてはその後のFZR750と1000に用いてゆくこの5バルブジェネシスエンジンと車体要素の試験投入のような位置づけのクルマがこのFZ750だったのではないか。重心を低くしたいと言う当時のGPの考え方によりスラントしたエンジンにダウンドラフトキャブ、16インチホイールと言うレーシングスペックなのに乗ってみると軸距が長めの穏やかなツアラーの性格が強いモデルだった。
ちなみに現在は旋回力を高めるためにはある程度の重心の高さが必要という考え方が主流。
コイツでは色々なところを走った。卒業旅行で九州、社会人になって能登などなど。長距離は楽だったが癖もありシミーが強めに出るのは特になぎさドライブウェイで小川を100km/hで越えた時にロデオマシンの用に大暴れしたのが最大で、コケなかったものの非常に肝を冷やした。