カワサキ | KAWASAKI ZRX1200R
2001年に登場したZRX1200Rは、ZRX1100のものから、ボアを2ミリ×スロトークを1ミリ拡大して、排気量を1,164ccとした水冷直列4気筒DOHCエンジンを搭載するビッグネイキッド。このエンジンは、GPZ900R用(1984年~)から発展してきたもので、当初の908ccから250cc以上の排気量アップを実現したことになった。排気量がさらに大きくなったことから、熱的に有利なめっきシリンダーに変更されていた。なお、前身のZRX1100シリーズでは、単にZRX1100と呼ばれたモデルがビキニカウル+角型ヘッドライトを備えたが、ZRX1200シリーズでは、ZRX1200Rが、同様の仕様となった。外観イメージは、ZRX1100を踏襲していたが、リアタイヤ幅の拡大、スイングアーム形状の変更、ホイールベースの15ミリ延長などの細かい見直しがなされていた。また、排出ガス規制に対応するための浄化機構も備えていた。バリエーションモデルとして、丸型ヘッドライトのZRX1200(国内販売なし)、大型のハーフカウルを備えたZRX1200S(国内は2004年モデルまで)をラインナップした。ZRX1200Rは、2004年モデルでマイナーチェンジを受け、最高出力などの数値が変わった(5psダウンながら、最大トルク発生回転数が3,500回転時に)。その他、フルスケールメーターの採用やエキゾーストパイプがバフ仕上げステンレスになるなどの変更を受けた。2008年モデルまで生産され、09年には後継モデルのZRX1200ダエグが登場した。
11月04日
162グー!
阿蘇ツーリング忘備録
11月2日、3日と1泊で九州にツーリング
初日は4時頃に自宅を出発し集合場所の石鎚SAに
3台になり次の集合場所のコンビニに
4台揃って三崎港へ
楽しい阿蘇ツーリングの始まりです😁
フェリーで渡初めての地 高千穂峡へ
いや〜写真通りだわ😆
日本語が聞こえ無い😆😆
ソフトクリーム食べて次に移動
しかし400円とは観光地にしては安かった😆😆
そしてケニーロードへ
誰もいない❓不思議な光景にビックリ🫢しながら撮影会👍😁
撮りまくり😆
夜はみんなで居酒屋🍺🤣楽しい飲み会
2日目
ガスを入れ草千里に
🅿️は一杯でスルーして火口アタック
なんと入れましたよラッキー✌️
ただ風が強くガスがモロに
寒さと匂いとガスとの戦いでした
が行けて良かったです👍👍
そして赤牛
今回はステーキ丼
美味かった😋こんな時には贅沢しなきゃ
楽しい時間は早い
また来年のお楽しみ😄
場所などの選択して頂いた@30759 さん
先導して頂いた@66497 さん
そしてみっちゃん
ありがとうございました🙇♀️
また次回に😊
10月13日
77グー!
10月11日。今日はラストラン。
北海道の気温は低いですが、まだ乗る事はできます。
実は、12Rの仲間と走るのがラストなんです。
彼は、来年の3月に本州への転勤が決まっており、バイクは連休最後の月曜日に移動を前提として冬じまいしてしまいます。
次に走る事ができるとすれば、僕が900km彼方の彼の転勤地に出向くか、彼が北海道へツーリングに来るか。
おそらく彼は、次の転地で定年となり、そのままそこに居住する事でしょう。
彼と出会ったのは30年も前。僕より少しだけ年下の彼はまるで少年のようでした。
90年代中期まで、自動二輪の免許システムに「大型免許」はありませんでした。自動二輪は400ccまでの限定条件が付いており、それ以上となると、その限定を解除する必要がありました。合格率は3%とも6%とも言われる「落とすための」制度でした。
当時、20代だった僕らは、その理不尽な免許制度をぐぐり抜けるために出会った仲間でした。
春先の4月に練習場の学園に入校して、降雪によって二輪の試験が出来なくなる10月中旬まで練習と試験を繰り返します。
記憶によれば、ひとシーズン乗り放題、教官付きで15万円程だったと思います。高かったのか安かったのか今では判別もつきません。当時、大型バイクに乗るためには、この方法しかなかった、という事です。
僕がチャレンジした年で、一番早く受かったのは2回目の人でした。6月上旬だったと思います。
僕が受かったのは4回目。8月9日。とにかく嬉しかった。長男が産まれるまでは、人生で最良の日でした。
彼が受かったのは6回目。当然、一緒に走りました。僕は事前に買っておいた、今でも乗っているGPZで。彼はなんと500SS、そう、マッハ3で初乗り。白煙が凄くて、終始、後ろを走らせました。
他の仲間で1番遅かったのは11回目の人でした、10月上旬。本当にギリギリでした。
その後、学園で出会った仲間とバイクを乗り回すわけですが、苦しんだ記憶が仲間意識を生み出すのか、強固なものでした。1番多い時で、15人くらい集まっていたと思います。
10年経ち、15年経ち、転勤や生活の変化があり櫛の歯がぬけるように人が減っていきました。生きていくのに関係がないどころか、邪魔にさえなるバイクです。結婚を機に降りていく人が多かったと思います。
毎週のように一緒に走った仲間達も、気がつくと4、5人しか残っていませんでした。僕も結婚を機にバイクに接する時間は激減しました。そんな中、彼も転勤になってしまい、気心知れたバイク仲間は誰もいなくなりました。
それから10年あまり。僕は家庭の事でほとんどバイクには乗れませんでした。2年程全く乗れない時があり、一年の走行距離が200Kmという年もありました。わりと自由に乗れるようになったのはここ5.6年でしょうか。
実は結婚する時、妻に一つだけお願いをしました。どんな事があってもバイクだけは売らないで欲しい。乗れない時は、車検を切って車庫においておく。そのおかげで今に繋がっているのだと思います。色々と言いたい事はあるでしょうが、何も言わずにバイク趣味を続けさせてくれている妻には感謝しかありません。
そんな状況が続いていた中、彼が再び帰って来た時は嬉しかったですね。ただ、期間は初めから決まっていて、2年間でした。
2人とも昔は、ずいぶん無茶苦茶な走りかたをしましたが、さすがにジェントルな走りに変化していました。しかし、北海道専用機にZX12Rを選ぶあたり、根っこの部分は昔のままですよね。
この2年間。あまり沢山は走れませんでしたが、僕らの人生においては特別というか、ボーナスのような時間だったと思います。
この先、また、一緒に走る時もあると信じています。