バイクブロスマガジン
POPと不二雄がそのレースの開催の話を聞いたのは、1977年の秋だった。内容は、日本の鈴鹿で8時間耐久レースを行う、世界選手権などではなくインターナショナル格式のノンタイトルレースというものだった。まだスズキからGS1000が届く前だったが、そのパフォーマンスを示すには、絶好の機会になるだろう、と2人は考えた。
POPは、鈴鹿の耐久レースには特別な思いがあった。忘れもしない1964年MFJ鈴鹿18時間耐久レース。POPは九州・雁ノ巣の仲間たちを率いて優勝。ホンダ社員チームを打ち負かし、ヨシムラの名を日本全国に轟かせたのだった。あのときはホンダCB72/77、今度はGS1000だ。