掲載日:2010年03月11日 試乗インプレ・レビュー
構成/バイクブロス・マガジンズ編集部
「性能が良くて速く走れる」というのは、バイクにとって大切なことだ。そこへ向かって各メーカーが研鑽を続けた結果、今ではリッター換算で150馬力を軽く超え、停止状態から時速100kmまで数秒で到達するようなバイクも珍しくない。姿形もそれに合わせて進化を続け、一昔前からは想像出来なかったフォルムのモデルがカタログを賑わしている。世の中のバイク全てがそうだというわけではないが、ことホンダというメーカーに関してはそういった傾向が強かったように思えるのは筆者だけだろうか。そんなイメージが強かったから、今回のCB1100には心底驚いてしまった。事前に手にしたカタログには性能を誇らしげに謳う言葉は無く、「ignition of life」と大書された見開きから、バイクと共にある風景が続いている。前後18インチホイールに新設計の空冷エンジンを組み合わせた姿は、現行CBであるスーパーフォアとも、派生モデルであるスーパーボルドールとも違う、シリーズの原点に返ったような出で立ちだ。バイクらしい姿に、数値的な性能を押し出さず“エモーショナル”なネイキッドであることを明示するCB1100。これまでのアプローチとは違う方向から語りかけるこのモデルは一体のようなバイクなのか。試乗インプレッションを通してCB1100が持つ魅力に迫ってみたい。
使い古されてしまった言葉かもしれないが、CB1100の走りを一言で表すとすれば、やはり「味わい」という言葉こそふさわしい。走り始めて実感するのは、スピードや旋回性といった性能を表す要素より、乗り手の頬を緩めるバイクとの対話。例えば、空冷直列4気筒エンジンのレスポンスは、リニアというよりライダーのアクションに対してしっかりと「溜め」を作ってから解放するという味付けで、右手をひねればすぐさま欲しいだけの力がでる近年のスポーツバイクとは一線を画している。ハンドリングも切れ味鋭い旋回性を発揮することは無い代わりに、乗り手の入力を裏切ることも無い。自分が思うように曲げるためにどう動けば良いか、ということをマシンとじっくりと対話しながら決められるのだ。そこには、コーナーリング性能の優劣といった客観的な言葉では表現しきれない喜びが存在している。それはまさしく、バイクだけでもライダーだけでも作れない味わいといえるだろう。こういった人車の間に優劣の無い関係性は、久しく味わっていなかったように思える。
急かされない、というのもCB1100を語る上で外せない重要な魅力。1,152ccという排気量を持ちながら、時速40kmから100kmという常用域の楽しさは、これまでのリッターネイキッドにはまず感じられなかったものだ。大きくスロットルを開けなければ満足出来ないなどという感覚は、CB1100には存在しない。低いアクセル開度の時にも重厚なトルクを感じられ、わずかな右手の動きに従って豊かな表情を見せてくれる。じわりと右手を静かに動かせば、少しの溜めをおいた後に力強い回転が立ち上がるから、ゆっくりとしたペースで走っていても飽きがやって来ない。従来のリッターバイクではストレスがたまってしまうようなペースでゆっくりと流していてもCB1100は対話を絶やさないから、「飛ばせない」などという些細な悩みはいつの間にか消えてしまっているのだ。もちろん、思い切りよくスロットルを開ければ力強い加速が待っているが、それさえも乗り手を置き去りにせず、「さぁ、いくぞ」と目配せを送ってくるのだからたまらない。この濃密な時間を、一部の腕が立つベテランだけでは無く、多くのライダーが楽しめるよう作り上げていることこそ、CB1100最大の魅力だろう。
このように、ハンドリングやエンジンのレスポンスに味わい深いテイストを持つCB1100だが、物足りない部分が無い、というわけではない。やはり厳しい環境基準に対応するためか、エンジンの鼓動感やサウンドといった部分は心地良くはあるものの、1980年代の「空冷直4」よりいささか薄口に仕上げられている。とはいえ、そういった部分を含めてもCB1100は絶妙な味付けを感じられる1台だ。ハイパワーなスポーツネイキッドのように、乗ってすぐ分かる濃い味では無いかもしれないが、乗り続けることによって染み出してくる幾重にも重なる甘味は、スペックの数値だけでは分からない。CB1100が導き出した回答は、近年の国産モデルとは違うバイクの在り方を提案しているのでは無いだろうか。
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