スズキ | SUZUKI GSR750
2010年のインターモト(ドイツ・ケルン)で、2011年の新型モデルとして発表されたのが、GSR750だった。発売当初は欧州など海外市場向けのモデルだったが、2013年3月からは、日本国内でもラインナップされるようになった。前身のモデルは、2006年から前年まで販売されたGSR600(国内版はGSR400)で、GSR600がGSX-R600用のエンジンユニットを搭載していたように、GSR750もスーパースポーツの心臓を持つネイキッドモデルだった。GSR750のエンジンは、GSX-R750用をベースにしたもので、GSR600の場合と同じように、街乗りで多用する中低速域での扱いやすさ、制限速度内でも爽快なフィーリングを得られるセッティングが採用されていた。アクの強いデザインはGSR600と同じ血統を感じさせるものながら、エッジを効かせたものになっており、前モデルで特徴的だったマフラーやフロントウインカーは、コンベンショナルなスタイルが採用されていた。異形ヘッドライトの左右両端がブルーなのは、この位置に青いインナーレンズを採用したポジションランプが配置されているためだった。なお、海外向けにはABS非搭載モデルの設定もあったが、日本国内に正式導入されたのは、ABS搭載タイプのみ。ただし、エンジンの出力特性は、国内も海外も同一だった。日本仕様は2015年モデルまで設定され、平成28年排出ガス規制への適合を前に、販売は終了した。なお、2016年のインターモトで、発表されたGSX-S750も、GSX-R750のエンジンを搭載するネイキッド。つまり、GSR750の後継モデルであるともいえた。
GSR750
12月15日
27グー!
先週からステムナット締めたり、リアディスク交換したりとバタバタ作業やってました。
タイヤ交換してから車体に色々不備を感じる様になったので週末はほぼ整備で終わってます。
寒い中青空整備は身体に厳しいですが、通勤快速には頑張ってもらう為、今日も色々やってました。
タイヤ交換してから突き上げが強いなぁと感じてて、ひょっとしてリアサスリンクレバーダメかと思って外したら固着してました。
浸透潤滑油流し込んで固着は解けたものの、ニードルベアリングはもうダメでしたね。スペーサーも打根だらけでこれもダメでした。
とりあえずニードルベアリングのニードルの錆落とししてスペーサーを磨き、再組み付けして、部品が到着した今日リンクレバー全交換しました。
フロントブレーキのパッドも限界だったのでフルードとパッドも交換しました。
スイングアーム外すのは苦労しましたが、ピボットのベアリングはまだまだ大丈夫そうなのでグリス多めに盛って良しとしました。
スイングアーム外すのって大変ていうのが勉強になりました(笑)
試運転した感じではサスペンションがちゃんと動くのが解る様になったので、リンクレバーは早めにグリスアップしないと面倒な事になるみたいです。
12月15日
100グー!
寒さに弱いひまなひと 笑🥶
前から気になってた岡崎市にある八丁味噌発祥の地カクキューさんへ😆👍
冷えた身体に味噌煮込みうどん☺️
八丁味噌ソフトも美味かったです🍦😋
工場見学も無料で楽しめました😄
(工場内撮影は可能ですが、営利目的になるので画像は控えさせて頂きます🙇)
参加特典で八丁味噌と赤味噌の味噌汁、味噌田楽の試食や八丁味噌パウダーの無料配布頂きました😊
お土産も買って、帰り道は知立にある藤田屋大あんまきも家族分ゲット👍
限定味のカフェラテまき コーヒーと合う〜☕️😮💨
走行距離約50キロでした 笑🤣
当分近場ばかりになりそうです、、、😅
冬よ早く終わりたまえ〜👏😣
GSR750
12月01日
68グー!
1ヶ月以上バイク乗ってなかったんで、
久しぶりにぶらっと阿山まで流してきました😊
紅葉もすっかり色付き、言うてる間に今年も終わるなー💦
話変わりますが、この間私の知人がツーリング中仲間のドゥカティパニガーレと交換してもらい走り終えた後、脱いだヘルメットをいつもの癖でパニガーレのミラーにかけたらミラーが根元からポッキリ折れたらしいんです💦💦💦
どうやらドゥカティパニガーレはカーボン製らしく、少しの衝撃で折れるみたいですわ💦
昔はよく私もミラーにかけてたけど、ヘルメットをおとしてからかけないからこんな事にはならないと思いますが、人のバイク借りた時は色々細かいとこまで気をつけないとどえらい事になりますね💦💦💦
取り敢えず弁償したみたいでしたが、とてつもなく高額やったみたいです😱
11月24日
161グー!
管理の行き届いた庭園はやはり綺麗🤩ですね!
海の帰りに見つけたのは
住雲園 1〜4枚目
越後鉄道(現在のJR越後線)の創始者・久須美父子(秀三郎・東馬)の邸宅。
享保2年(1717年)和の粋をこらして築かれた日本庭園との事で🤭
長谷川邸 5〜6枚目
武士の出身といわれる長谷川家が、塚野山に居を構えたのは江戸時代の初め頃です。以来山村地主としての地位を固め、代々庄屋を勤めてきました。幕末から明治にかけては近郊4か村の耕地や山林の7割を独占し、180町歩余の田から4000俵もの小作料をあげた豪農らしいので🤭お伺い…
長谷川邸さんは中にお邪魔しないと紅葉館の良さはわかりませんでした💦 11/21撮影