カワサキ | KAWASAKI エリミネーター400SE | ELIMINATOR 400 SE
1980年代から2000年代にかけて、大小の排気量で展開された「エリミネーター」シリーズ。400ccでも1990年代まで3モデルがラインナップされ、ヘッドライトカウルを装備したエリミネーター400SEも含まれていた。エリミネーター400・シリーズが姿を消してから20年以上が経過した2023年、新しいエリミネーターが発表された。日本の普通二輪免許で運転可能な排気量400cc以下のクラスで、同じ時代のニンジャ400と同じ系統のエンジン(398cc並列2気筒)を搭載。最高出力は35kW(48ps)で、この数値は、欧州のA2ライセンスの出力上限と一致するものだった(欧州では排気量ではなく最高出力が基準)。ミッションは6速ミッションで、チェーン駆動を採用。前後のキャストホイールは、前が18インチで後ろが16インチ。ロー&ロングなアメリカンクルーザースタイルによって、シートの高さは735ミリに抑えられていた。このエリミネーターSEは、標準仕様のエリミネーター(無印)と同時に発表され、かつてのエリミネーター400SEのように、ヘッドライトカウルを備えたほか、無骨なスタイルを演出するフォークブーツも採用。スマートフォン(当時の携帯式情報端末)のバッテリー充電に対応するUSBタイプCソケットと、2020年代に二輪車でも普及が始まっていたドライブレコーダー(GPS対応・前後カメラ)までも標準装備していた。※2023年に発売されたエリミネーターの正式なモデル名には、「400」という数字表記はないが、かつて様々な排気量で展開されたシリーズとの混同を避けるため、バイクブロスではエリミネーター400として登録した。
ELIMINATOR 400 SE
09月25日
71グー!
幾年越しの願いが叶った日🌟
フェリーでお越しのお客さま
着岸のお迎え〜〜〜🎶
「街乗り無理です。。」
1時間半ほど田舎に向いて走ってもらって💦
コメダ珈琲で待ち合わせ✋
モーニングをご一緒に🍞
2人ともお腹が空いてたから?!緊張してたから?!
写真撮らずにパクパク😋
撮ってないことにさえ気付いてなかった今…😂
さぁ〜走りましょう🏍🏍³₃
インカムなかなかかなーって思ってたら
へっ?!って言う間もなく👌カミサマオッタ
2台並んで走り出すこの瞬間✨️✨✨ユメミタイ
ミラー越しにバイク確認してホンマに走ってる😊
まずは妖怪ベンチでお決まりのポーズ🤭
お昼ご飯は麺好きのお客さまを
息子に教えてもらった播州ラーメンのお店へ🍜
初めて食べる味や〜〜美味しい!!
って言うてもろて良かった☺️
そしてwolfのお庭😆丹波竜の里🦕
そしてそしてSNSでよく見てたーっていう
ミニスカポリス🚓
婦警さんに謝ってはりました🤭
お別れ場所は道の駅いながわ🐗
「街乗り無理やから宿泊先までのルート検索してください」😂
再会を約束して南北に走りました✨
気持ちのいい最高のツーリング日和☀️
なぜか踏切を何度も通った日😂
wolfの人見知りが行方不明になって
色んな話が出来て✨
言葉に暖かみがあるのに冗談ぽく笑う
東北の巨人は体はもちろん
心がとーっても大きかった😊
(*´︶`*)♡Thanks!
ELIMINATOR 400 SE
09月24日
69グー!
【雑記】スルー推奨
(現在)
最近はあまりテレビを観なくなったが、テレビをつけると必ずそこには一般的に「アイドル」と呼ばれる人達がいつもいる
いちいち名前は覚えていないがいつもいる
うちの娘よりも歳下ではあるが、だがカワイイ娘は大好きだ
人は何がしかの「ヨリドコロ」が無いと生きてはいけない
なので俺は「アイドル」も「宗教」も否定はしない、さすがに過剰に頼ってしまうと大変だが、ホドホドなら問題ないとは思う
言い方を変えると「バイク」も「アイドル」も夢中になれると言う点では、ある意味「宗教」っぽいといっても過言ではない
ただ、「バイク」と「アイドル」との明確な違いは、「バイク」は少し頑張れば手が届くところにある、夢を諦める必要はないが
ただ、夢は決して見すぎないことだ
(1970年代)
その昔、四畳半フォークと言われた「神田川」が流行った年は
あの名車「Kawasaki 400SSマッハII」が販売された年でもある
年代的には「CB400four」「Z400FX」「RD350」「KH400」等、数々の名車が誕生した、中型バイクが注目された年代でもある
そしてテレビをつけると必ずそこには天地真理、浅田美代子、麻丘めぐみ、南さおり、とかのカワイイ系のアイドル達がいつもいた
彼女達は自分より歳上ではあったが綺麗なお姉さんは大好きだ
あまり娯楽のなかった時代、テレビの世界は夢の世界だった
テレビはいつも俺に「夢」を与えてくれた
(1980年代)
それから10年程が過ぎ、バイクの世界は「2スト全盛期」を迎える、「RZ」「RGΓ」「KR」そして絶対王者の「NSR」
そしてテレビをつけるとやはり必ずそこにはアイドルがいた
松田聖子、中森明菜、小泉今日子、今では「伝説」とも呼ばれるスーパーアイドル達だ、俺とは同世代であるが大好きだった
そこは決して交わる事のない異世界ではあるのだが
いつもテレビは俺に「癒し」をくれた
(1990年代)
それから更に10年程が過ぎ、テレビドラマの主題歌が流行っていた年は「ZEPHYR400」を契機に「ネイキッド」がブームとなった
同クラスならHONDAは「CB400SF」YAMAHAは「XJR400」、SUZUKIは「RGV250Γ」で「2スト」を更に成熟させていた
中でも「1992年」はうちの「エリミ」が製造された年だ
そしてその年
テレビをつけると必ずそこには「金さん銀さん」がいた
年上のお姉さんは大好きだが「限度」と言うモノがある
ELIMINATOR 400 SE
09月23日
72グー!
シルバーウィーク楽しまれてますかー🎶
wolfは楽しくお仕事です😇
遊びも!!仕事も?!全力ーーー😆🙄
ということで
9月20日 爆盛りツーに参加😊
#喫茶ラヴリ さんで普通盛りの大盛りナポリタン🍝
お喋りしながらパクパク…美味しいー😋
味も量も大満足でした❣️
その後 妖怪ベンチ雪女さんへ
集合写真はAIに 男前と女前にしてーって…
なかなか いい感じかな😂
からの 砥峰高原𖤣𖥧𖥣。
いつ来てもスケールの大きないいところ✨
すでにシーズンインしてたけど
見頃はまだまだこれからです🌾✨
あっという間の楽しい時間✨🎶
ゆうちゃんさんいつもありがとです✨
ご一緒していただいたみなさん❣️
ありがとうございました🤗
ELIMINATOR 400 SE
09月19日
68グー!
【雑記】スルー推奨
先日、実家に帰った時のこと
車庫兼倉庫の片隅に古い「YAMAHA」が1台ひっそりと眠っていた
少しヤンチャな先輩達に憧れて購入した、この怪しくも悩ましい世界にゲソをハメる切っ掛けとなった人生最初の1台だ
最初は誰もがビギナーである
恐らくはそれまで生きてきた中で意図的に右手と左手に違うことをさせる最初の経験だったのかも知れない
特に左手は握っては離し握っては離しの繰り返しである、タイミングを間違うとそこでストップしてしまうのがカッコ悪くて
習うより慣れろの「ことわざ」どおり頑張って身体で覚えた
近所迷惑と言われ、ワザワザと遠くまで出かけたこともある
そのうちイチビリはじめ、同級生数人で徒党を組んで街に繰り出し、度重なる警告を無視して警察に追い回されたこともある
今も昔も「騒音」は犯罪である
いや、あまり大きな声では言えないが、見に集まった人々を縫うようにかき分けて逃げまわる行為そのものは、今となっては
ある意味「ヒキ逃げ」と言われてもしかたがない行為である
あちこちにブチ当てながら逃げ回った時の塗装の傷跡は今なおフレームにクッキリと残ったままだ、何なら少し外装も割れている
青春の傷跡とでも言おうか、若気のイタリとでも言おうか
田舎の倉庫に眠っているソイツこそが我が青春そのものだ
ああ、記述が不自然なので、恐らくは最初からお気付きかとは思うが、田舎の倉庫に眠っている「我が青春の1ページ」とは
当時、世の中を席巻した「XS」でも「GT」でも「RD」でもない、1970年代に名を馳せたあのYAMAHA が誇る「FG」のことだ
そう、初心者用の「アコースティックギター」である
実はストリートで騒音をまき散らしてからの「弾き逃げ」はその時代からあった、その後大成するかしないかは才能と努力の差だ
誰もが一度は夢を見るが、大抵は割りと早い段階であきらめる
ちなみに余談ではあるが、キズがあるのはフレームではなくフレイムである(正しいかは知らんが杢目のことをそう呼んでいた)
一番最初に覚えた(コンプリートした)曲は今でもしっかりと覚えている(まぁ歌詞まで覚えているかと言われれば九九の7の段くらい怪しいが)
目まぐるしく時代が遷り変わる高度成長期の裏側で、大都会、東京に夢を求め、貧しいながらも小さな幸せを分かち合う若者たちの歌だ
人生初でなぜこの曲を選んだのかは、それには深い深い理由があった、この曲を聴き、歌詞を読み、初めて楽譜を見たときに
俺は泣いた
なぜなら、その初心者用の楽譜にはあの憎んでも憎み切れない忌まわしい悪魔の「Fコード」がなかったからだ
この「Fコード」のせいで何人もの友人達が途中で挫折していったことか、そりゃそうだ「押さえる場所」が指の数を超えているんだ
指5本に対して弦は6本、フレットは無数にある、両手を使えば押さえることは出来るかもだが、いったいどの手で弾けと言うのだと
当時のフォークソングはC、D、F、G、Am、Dm、EmたまにB7これくらい知っていれば大抵の曲が弾けたものだが
今のJポップでは初心者用の楽譜でさえ、ちょいとオシャレにsus4やらadd9やらonコードとやらのコードを無邪気に表示してくれている
ジィさんには今の若者の曲は弾けない
つーか、慣れないコード進行で指がツるっちゅうねん!
話しを元に戻し、微かな記憶をたどる
あなたはもう〜横丁の風呂屋〜♪(到着が早すぎるな)
赤い〜コーラ缶マフラーに挿して〜♪(どこか違うな)
窓の〜外には〜神田うの〜♪(何か東京っぽくなってきたな)
若か〜ったあの頃〜なにも恐くなかった〜♪
ただ〜貴方のやさしさが〜恐かった〜♪
大阪府出身の喜多條忠先生が上京した時の自らの体験を綴り、それに南こうせつ先生が曲をつけた昭和の代表曲のひとつと言っても過言ではないが言い過ぎかも知れない(どっちやねん)
特にサビの一節
今にも壊れそうな儚い幸せの中で「若さゆえの無敵感」と今の幸せを「失う恐怖感」が葛藤しているかのようにも感じる歌詞だ
ただ、これを別の意味で考えてみると
時がいくら流れようとも、今でも俺は……
いや、昔からずっと……
リビングで優しく微笑む「嫁」が恐かった